地ビール考

« BEER'S TALK 2 | メイン | BEER'S TALK 4 »

BEER'S TALK 3

明治23年の秋田にビール会社が有ったらしいのです。第三回内国勧業博覧会に、秋田から 二点出品されております。 最近教えられてこの事を知ったのですが、どなたかその詳細を御教示下されば幸いです。  さて、この明治20年代の日本は(ここ数年の地ビール勃興のめざましさを除けば)最もビ ール醸造所が多かった時期であります。件の第三回内国勧業博覧会の審査報告にもその数 「殆ト一百」に達するとあります。  幕末から輸入され始めた「麦の酒」の多くは英国産であったと思われますが、中でも有名 なのは赤い三角印のバス社のもので、現在でも英国ビール会社ビック5の筆頭はこの会社で す。その人気の程は、東京府が明治四年バス社レッテルの偽造を戒める布告を出したことで も想像できます。  当時、主として居留外人向けであったであろう新聞等印刷物の広告で社名のつまびらかな のはきわめて少なく、他には同じ英国のオルソップ社くらいです。  バスも恐らくはオルソップも、上面発酵のペールエールでしたから、ホップを大量に効か せた可成り苦かったものでしょう。  頑固な英国人がホップを自分たちの飲み物に採用し始めたのは大陸に遅れること約600 年、16世紀になってからです。もっとも、あのバイエルン公ウィルヘルム四世発令になる有 名な「ビール純粋令」も1516年ですが。  欧州に於けるホップの組織的栽培は八世紀頃のバイエルンのハラタウ辺りといわれていま すからビール6000年の歴史からみれば誠に新しいことですが、西暦200年頃のバビロニア でのビールへの添加使用が報告されており、その方法が欧州に伝搬したと考えられておりま す。ちなみにホップ以前の、薬草類を添加したビールをグルートビールと呼びます。  さて、国産ビールの最初は?というと、よく判りません。明治三年頃、後に「横浜ビー ル」と呼ばれたスプリング・バーレー・ブルワリーをもってその嚆矢とするのが一般的で す。ここでは、英国風エールとババリアというドイツ風ミュンヒェナーを醸造販売していま した。この、ババリアをもとに日本人好みのビールを造り評判をとりました。(ビヤガーデ ン第一号もここだそうです。)  ブリティッシュエールに稍遅れて輸入され始めたドイツのラガービール(下面発酵)は、 より端麗で爽快な呑み口や、又ドイツ留学組の贔屓もあってか、のちの日本人のビールへの 嗜好を決定付けました。この時期が明治二〇年代で、多くの国産ビールが生まれ、そして十 数年のうちに、多くは競争に負け、淘汰されます。市場がまだまだ狭く、又、技術と醸造思 想において未熟だったのだと想像致します。  ここで、日本のビール事情前史を一休みして、少々唐突ですが、修道院とビールについて 書きたいと思います。  ビール(エール)醸造の「必要性」と「技術的錬磨と工夫」とを追求し大いなる高みに到 ったのは中世にその起源を発する修道院ビールだと私は考えております。  修道院で醸造される純然たる修道院ビールは世界に六ヶ所、そのうちの五ヶ所が「ビール 大国」ベルギーに、残る一つはオランダにありますが、それぞれ素晴らしく個性的なボディ ーを主張するビール群は、日本に於ける、私たちのビール概念を覆します。長旅で少々疲れ ているかもしれませんが、日本にも各種輸入されておりますので是非おためし下さい。  次回は最終回、地ビールのお話です。  (?あくら代表。日本JCBA/米AHA/米IBS会員。JCBA/シイベル醸造科学 技術研究所認定マスター・イヴァリュエイター。)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.aqula.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/17